掠文庫
次へ index
[12]
出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持って こい」と云ったら、「もう掃溜へ棄ててしまいましたが、拾って参りましょう か」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳け出したが、 やがて半紙の上へ十匹ばかり載せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこ れだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云 う。小使まで馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、 大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方 に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込め た。「篦棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何 だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやっ たら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもし を使う奴だ。 「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッ タを入れてくれと頼んだ」 「誰も入れやせんがな」 「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」 「イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」 「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりに なられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」 「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」  けちな奴等だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないが いい。証拠さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。 おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがした と聞かれた時に、尻込みをするような卑怯な事はただの一度もなかった。した ものはしたので、しないものはしないに極ってる。おれなんぞは、いくら、い たずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐いて罰を逃げるくらいなら、始めから いたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたず らも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙るなんて下劣な根性がどこ の国に流行ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみ んな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。全体中学校へ何しにはいっ てるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化して、陰でこせこせ生意気な 悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違 いをしていやがる。話せない雑兵だ。  おれはこんな腐った了見の奴等と談判するのは胸糞が悪るいから、「そんな に云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が 出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を逐っ放してやった。おれは言葉 や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥かに上品なつもりだ。 六人は悠々と引き揚げた。上部だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。 実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底これほどの度胸はない。  それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動で蚊帳の中はぶんぶ ん唸っている。手燭をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣 手をはずして、長く畳んでおいて部屋の中で横竪十文字に振ったら、環が飛ん で手の甲をいやというほど撲った。三度目に床へはいった時は少々落ち付いた がなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来た もんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするな ら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防強い朴念仁が なるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清なんてのは見上げ たものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊とい。 今まではあんなに世話になって別段難有いとも思わなかったが、こうして、一 人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後の笹飴が食いたければ、 わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分 ある。清はおれの事を欲がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめ られるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなっ た。  清の事を考えながら、のつそつしていると、突然おれの頭の上で、数で云っ たら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子を取 って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨の声が起った。 おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端に、は はあさっきの意趣返しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事 は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手
次へ index