掠文庫『石川啄木詩集』
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■東京 NO.5
かくやくの夏の日は、今 子午線の上にかかれり。 煙突の鉄の林や、煙皆、煤黒き手に 何をかも攫むとすらむ、ただ直に天をぞ射せる。 百千網巷巷に空車行く音もなく あはれ、今、都大路に、大真夏光動かぬ 寂寞よ、霜夜の如く、百万の心を圧せり。 千万の甍今日こそ色もなく打鎮りぬ。 紙の片白き千ひらを撒きて行く通魔ありと、 家家の門や又窓、黒布に皆とざされぬ。 百千網都大路に人の影暁星の如 いと稀に。――かくて、骨泣く寂滅死の都、見よ。 かくやくの夏の日は、今 子午線の上にかかれり。 何方ゆ流れ来ぬるや、黒星よ、真北の空に 飛ぶを見ぬ。やがて大路の北の涯、天路に聳る 層楼の屋根にとまれり。唖唖として一声、――これよ 凶鳥の不浄の烏。――骨あさる鳥なり、はたや、 死の空にさまよひ叫ぶ怨恨の毒嘴の鳥。 鳥啼きぬ、二度。――いかに、其声の猶終らぬに、 何方ゆ現れ来しや、幾尺の白髪かき垂れ、 いな光る剣捧げし童顔の翁あり。ああ、 黒長裳静かに曳くや、寂寞の戸に反響して、 沓の音全都に響き、唯一人大路を練れり。 有りとある磁石の針は 子午線の真北を射せり。
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