掠文庫
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 僕は頗る勇気を鼓し殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯 最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口 までさし込んでいる。僕が咳払を一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわ かに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞いた。僕も承知しているのだ、 今御膳会議で二人の噂が如何に盛んであったか。  宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃うた時、母も奥から起き てきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれ ど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これ までは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り 言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小 さくなって座敷中へは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄やを沢 山座敷中へ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの 意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るも のはない。今夜は何の話にも僕等二人は除けものにされる始末で、もはや二人 は全く罪あるものと黙決されてしまったのである。 「お母さんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目 のないにもほどがある。はたでいくら心配してもお母さんがあれでは駄目だ」  これが台所会議の決定であったらしい。母の方でもいつまで児供と思ってい たが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更 二人を叱って見ても仕方がない。なに政夫を学校へ遣ってしまいさえせば仔細 はないと母の心はちゃんときまって居るらしく、 「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうし てぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくが よい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」  学校へゆくは固より僕の願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細は ないが、この場合しかも今夜言渡があって見ると、二人は既に罪を犯したもの と定められての仕置であるから、民子は勿論僕に取ってもすこぶる心苦しい処 がある。実際二人はそれほどに堕落した訣でないから、頭からそうときめられ ては、聊か妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いこ とを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはお 母さん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、科を着せられての仕置に学 校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜は そんな我儘を言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。  あれほど可愛がられた一人の母に隠立てをする、何となく隔てを作って心の ありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前を憚り、人前では殊更 に二人がうとうとしく取りなす様になっている。かくまで私心が長じてきてど うして立派な口がきけよう。僕はただ一言、 「はア……」  と答えたきりなんにも言わず、母の言いつけに盲従する外はなかった。 「僕は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、民さんは跡でどうなるだろうか」  不図そう思って、そっと民子の方を見ると、お増が枝豆をあさってる後に、 民子はうつむいて膝の上に襷をこねくりつつ沈黙している。如何にも元気のな い風で夜のせいか顔色も青白く見えた。民子の風を見て僕も俄に悲しくなって 泣きたくなった。涙は瞼を伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は判然 しない。ただ民子が可哀相でならなくなったのである。民子と僕との楽しい関 係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまっ た。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては 勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係は闇の幕に這入ってしまったの である。  十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしてい ても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。
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