掠文庫『愛と婚姻』
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 媒妁人先づいふめでたしと、舅姑またいふめでたしと、親類等皆いふめでた しと、知己朋友皆いふめでたしと、渠等は欣々然として新夫婦の婚姻を祝す、 婚礼果してめでたきか。  小説に於ける男女の主客が婚礼は最めでたし。何となれば渠等の行路難は皆 合の事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々の間に平和なる歳月を送れば なり。  然れども斯の如きはたゞ一部、一篇、一局部の話柄に留まるのみ。其実一般 の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にある ものなりとす。  渠等が慈愛なる父母の掌中を出でて、其身を致す、舅姑はいかむ。夫はいか む。小姑はいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。在来の経験 に因りて見る処のそれらの者は果していかむ。豈寒心すべきものならずや。  婦人の婚姻に因りて得る処のものは概ね斯の如し。而して男子もまた、先人 曰く、「妻なければ楽少く、妻ある身には悲多し」とそれ然るのみ。  然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親の ために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕のために。町のた めに、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦ま ざるべからず、甚しきに至りては死せざるべからず、常に我といふ一個簡単な る肉体を超然たらしむることを得で、多々他人に因りて左右せられ、是非せら れ、猶且つ支配さるゝものたり。但愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次 第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故に 愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜 んで、甘じて、これを享く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦といふも の、皆我を我としたる我を以て、他に――社会に――対するより起る処の怨言 のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。  情死、駈落、勘当等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其 人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ず べきのみ。独り婚礼に至りては、儀式上、文字上、別に何等の愛ありて存する にあらず。唯男女相会して、粛然と杯を巡らすに過ぎず。人の未だ結婚せざる や、愛は自由なり。諺に曰く「恋に上下の隔なし」と。然り、何人が何人に恋 するも、誰かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふもの にあらずして、寧ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人は渠を愛すること能 はず、否愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛するこ とを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自 由を剥奪せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。  古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚 姻てふものだになかりせば、何人の佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、 葛藤、紛紜、失望、自殺、疾病等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因り て生ずる処の結果ならずや。  妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳 の罪人は那辺にか出来らむ、女子は情のために其夫を毒殺するの要なきなり。 男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみなら ず、爾き不快なる文字はこれを愛の字典の何ペエジに求むるも、決して見出す こと能はざるに至るや必せり。然れども斯の如きは社会に秩序ありて敢て許さ ず。  あゝあゝ結婚を以て愛の大成したるものとなすは、大なるあやまりなるかな。 世人結婚を欲することなくして、愛を欲せむか、吾人は嫦娥を愛することを得、 嫦娥は吾人を愛することを得、何人が何人を愛するも妨げなし、害なし、はた 乱もなし。匈奴にして昭君を愛するも、昭君豈馬に乗るの怨あらむや。其愀然 として胡国に嫁ぎたるもの、匈奴が婚を強ひたるに外ならず。然も婚姻に因り て愛を得むと欲するは、何ぞ、水中の月を捉へむとする猿猴の愚と大に異なる あらむや。或は婚姻を以て相互の愛を有形にたしかむる証拠とせむか。其愛の 薄弱なる論ずるに足らず。憚りなく直言すれば、婚姻は蓋し愛を拷問して我に 従はしめむとする、卑怯なる手段のみ。それ然り、然れどもこはただ婚姻の裏 面をいふもの、其表面に至りては吾人が国家を造るべき分子なり。親に対する 孝道なり。家に対する責任なり。朋友に対する礼儀なり。親属にたいする交誼 なり。総括すれば社会に対する義務なり。然も我に於て寸毫の益する処あらず。 婚姻何ぞ其人のために喜ぶべけむや。祝すべけむや。めでたからむや。しかも 媒はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類はいふめでたしと、朋友は いふめでたしと、そも何の意ぞ。他なし、社会のために祝するなり。
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