掠文庫
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[2]
かもわからずに居ります。
「御姉様は私の為に、今度の御縁談を御きめになりました。さうではないと仰
有つても、私にはよくわかつて居ります。何時ぞや御一しよに帝劇を見物した
晩、御姉様は私に俊さんは好きかと御尋きになりました。それから又好きなら
ば、御姉様がきつと骨を折るから、俊さんの所へ行けとも仰有いました。あの
時もう御姉様は、私が俊さんに差上げる筈の手紙を読んでいらしつたのでせう。
あの手紙がなくなつた時、ほんたうに私は御姉様を御恨めしく思ひました。
(御免遊ばせ。この事だけでも私はどの位申し訳がないかわかりません。)で
すからその晩も私には、御姉様の親切な御言葉も、皮肉のやうな気さへ致しま
した。私が怒つて御返事らしい御返事も碌に致さなかつた事は、もちろん御忘
れになりもなさりますまい。けれどもあれから二三日経つて、御姉様の御縁談
が急にきまつてしまつた時、私はそれこそ死んででも、御詫びをしようかと思
ひました。御姉様も俊さんが御好きなのでございますもの。(御隠しになつて
はいや。私はよく存じて居りましてよ。)私の事さへ御かまひにならなければ、
きつと御自分が俊さんの所へいらしつたのに違ひこざいません。それでも御姉
様は私に、俊さんなぞは思つてゐないと、何度も繰返して仰有いました。さう
してとうとう心にもない御結婚をなすつて御しまひになりました。私の大事な
御姉様。私が今日鶏を抱いて来て、大阪へいらつしやる御姉様に、御挨拶をな
さいと申した事をまだ覚えていらしつて?私は飼つてゐる鶏にも、私と一しよ
に御姉様へ御詫びを申して貰ひたかつたの。さうしたら、何にも御存知ない御
母様まで御泣きになりましたのね。
「御姉様。もう明日は大阪へいらしつて御しまひなさるでせう。けれどもどう
か何時までも、御姉様の照子を見捨てずに頂戴、照子は毎朝鶏に餌をやりなが
ら、御姉様の事を思ひ出して、誰にも知れず泣いてゐます。……」
信子はこの少女らしい手紙を読む毎に、必涙が滲んで来た。殊に中央停車場
から汽車に乗らうとする間際、そつとこの手紙を彼女に渡した照子の姿を思ひ
出すと、何とも云はれずにいぢらしかつた。が、彼女の結婚は果して妹の想像
通り、全然犠牲的なそれであらうか。さう疑を挾む事は、涙の後の彼女の心へ、
重苦しい気持ちを拡げ勝ちであつた。信子はこの重苦しさを避ける為に、大抵
はぢつと快い感傷の中に浸つてゐた。そのうちに外の松林へ一面に当つた日の
光が、だんだん黄ばんだ暮方の色に変つて行くのを眺めながら。
二
結婚後彼是三月ばかりは、あらゆる新婚の夫婦の如く、彼等も亦幸福な日を
送つた。
夫は何処か女性的な、口数を利かない人物であつた。それが毎日会社から帰
つて来ると、必晩飯後の何時間かは、信子と一しよに過す事にしてゐた。信子
は編物の針を動かしながら、近頃世間に騒がれてゐる小説や戯曲の話などもし
た。その話の中には時によると、基督教の匂のする女子大学趣味の人生観が織
りこまれてゐる事もあつた。夫は晩酌の頬を赤らめた儘、読みかけた夕刊を膝
へのせて、珍しさうに耳を傾けてゐた。が、彼自身の意見らしいものは、一言
も加へた事がなかつた。
彼等は又殆日曜毎に、大阪やその近郊の遊覧地へ気散じな一日を暮しに行つ
た。信子は汽車電車へ乗る度に、何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑
しく見えた。それだけおとなしい夫の態度が、格段に上品なのを嬉しく感じた。
実際身綺麗な夫の姿は、そう云ふ人中に交つてゐると、帽子からも、背広から
も、或は又赤皮の編上げからも、化粧石鹸の匂に似た、一種清新な雰囲気を放
散させてゐるやうであつた。殊に夏の休暇中、舞子まで足を延した時には、同
じ茶屋に来合せた夫の同僚たちに比べて見て、一層誇りがましいやうな心もち
がせずにはゐられなかつた。が、夫はその下卑た同僚たちに、存外親しみを持
つてゐるらしかつた。
その内に信子は長い間、捨ててあつた創作を思ひ出した。そこで夫の留守の
内だけ、一二時間づつ机に向ふ事にした。夫はその話を聞くと、「愈女流作家
になるかね。」と云つて、やさしい口もとに薄笑ひを見せた。しかし机には向
ふにしても、思ひの外ペンは進まなかつた。彼女はぼんやり頬杖をついて、炎
天の松林の蝉の声に、我知れず耳を傾けてゐる彼女自身を見出し勝ちであつた。
所が残暑が初秋へ振り変らうとする時分、夫は或日会社の出がけに、汗じみ
た襟を取変へようとした。が、生憎襟は一本残らず洗濯屋の手に渡つてゐた。
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