掠文庫
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 「鸚鵡をくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さ んは私と仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁をつる約束がしてあったのです、 ところがその晩、おッ母アと樋口は某坂の町に買い物があるとて出てゆき、政 法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は祈祷会にゆき、家に残 ったのは、下女代わりに来ている親類の娘と、四郎と私だけで、すこぶるさび しくなりましたから、雁つりの実行に取りかかりました。  かねて四郎と二人で用意しておいた――すなわち田溝で捕えておいたどじょ うを鉤につけて、家を西へ出るとすぐある田のここかしこにまきました。田は その昔、ある大名の下屋敷の池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山 らしいのがいくつか凸起しているので、雁にはよき隠れ場であるので、そのこ ろ毎晩のように一群れの雁がおりたものです。  恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心にむ ちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こ ういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。  十幾本の鉤を凧糸につけて、その根を一本にまとめて、これを栗の木の幹に 結び、これでよしと、四郎と二人が思わず星影寒き大空の一方を望んだ時の心 持ちはいつまでも忘れる事ができません。  もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、 人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎はそ の後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、 死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきら められそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈 むのはこの類の事です、そして私は「縁が薄い」という言葉の悲哀を、つくづ く身に感じます。  ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に会いま した。もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていま すから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、あまり親しく往来 はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの学友気質で、無遠慮な 口をきき合うのです。この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと勧めますから、上田 とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては少し上等すぎる馳走 になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、鷹見はもとの快活な調 子で、  「時に樋口という男はどうしたろう」と話が鸚鵡の一件になりました。  「どうなるものかね、いなかにくすぼっているか、それとも死んだかも知れ ない、長生きをしそうもない男であった。」と法律の上田は、やはりもとのご とくきびしいことを言います。  「かあいそうなことを言う、しかし実際あの男は、どことなく影が薄いよう な人であったね、窪田君。」  と鷹見の言葉のごとく、私も同意せざるを得ないのです。口数をあまりきか ない、顔色の生白い、額の狭い小づくりな、年は二十一か二の青年を思い出し ますと、どうもその身の周囲に生き生きした色がありません、灰色の霧が包ん でいるように思われます。  「けれども艶福の点において、われわれは樋口に遠く及ばなかった」と、上 田は冷ややかに笑います、鷹見は、  「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほう だいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突っ張ってみる、いわゆ る張りだね、女はそういうふうな男を勝手にしたり、また勝手にされてみたり すると、夢中になるものだ。だから見たまえ、あの五十面のばあさんが、まる で恥も外聞も忘れていたじゃあないか。鸚鵡の持ち主はどんな女だか知らない がきっと、海山千年の女郎だろうと僕は鑑定する。」  「まアそんな事だろう、なにしろ後家ばあさん、大いに通をきかしたつもり で樋口を遊ばしたからおもしろい、鷹見君のいわゆる、あれが勝手にされてみ たのだろうが、鸚鵡まで持ちこまれて、『お玉さん樋口さん』の掛合まで聞か されたものだから、かあいそうに、ばあさんすっかりもてあましてしまって、 樋口のいない留守に鸚鵡を逃がしたもんだ、窪田君、あの滑稽を覚えているか え。」  私はうなずきました、樋口が鸚鵡を持ちこんだ日から二日目か三日目です、 今では上田も鷹見もばあさんと言っています、かの時分のおッ母さんが、鸚鵡 のかごをあけて鳥を追い出したものです。すると樋口が帰って来て、非常に怒 った様子でしたが、まもなく鸚鵡がひとりでにかごへ帰って来たので、それな
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