掠文庫
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いつも滔々として流れていた。青木は、雄吉のそうした態度から来る圧迫を避 けるためであったろう。教室へ出ている時にも、なるべく雄吉と話をすること を避けた。雄吉が、それを怨み憤ったのは、もとよりであった。二人の間には、 大きな亀裂が口をあけ始めていた。  高等学校を出ると雄吉は、学資を得る便宜から、京都の大学に入ることにな った。さすがに雄吉との別離を惜しんだ青木は、 「もう僕も、大学生なんだから、月に十円や十五円の内職をすることは、なん でもないことだから、僕が働いて月十円は必ず君に送金する。それは当然僕の なさねばならぬ義務だ」と、青木はその大きな目に涙を湛えながら、感激して いった。  雄吉の京都における生活は、かなり苦しい悲惨なものであった。彼は、ある 人の世話で、職工夜学校の教師をした。が、それは彼の時間のほとんどすべて を奪って、しかもわずかな報償を与えるのに過ぎなかった。彼は、ノートを購 うにさえ、多くの不自由を感じた。彼は一時の興奮と陶酔とのために、青木の ために払った犠牲のあまりに大きかったのを後悔し始めた。彼は、よく芝居で 見た身代りということを、考え合わせた。一時の感激で、主君のために命を捨 てる。それはその場きりのことだ。感激のために、理性が盲目にされているそ の場限りのことだ。雄吉自身の場合のごとく、その感激が冷めているのに、ま だその感激のためにやった一時の出来心の恐ろしい結果を、背負わされている のは堪らないことだと思った。  青木が、涙を流しながら誓った送金は、いつが来ても実現しなかった。雄吉 は堪らなくなって、二、三度督促の手紙を出した。青木からは、それに対して 一通のハガキさえ来なかった。彼は、最後にほとんど憤りに震えているような 文面の手紙を出した。それに対しても、青木は沈黙を守り続けた。  もう、その頃の雄吉は、自分の身代り的行動を、心の底から後悔し始めてい た。それと同時に、現在の苦学生的生活の苦悩が、ひしひしと身に食い込んで きた。そのために、彼は自分の過去におけるばからしさと、青木の背信とを恨 んだ。  が、雄吉の食らうべき第二の韮は、もうそこに用意されていた。雄吉が京都 に来た翌年の春であった。雄吉や青木と同じクラスであった原田という男が、 故郷の岡山から上京する道で、京都に立ち寄って雄吉を訪問した。彼は、雄吉 の顔を見ると、すぐ、 「君は、青木のことをちっとも知るまいな。あいつはこの頃大変だぜ。すっか り遊蕩児になりきってしまってね。友人の品物を無断で持ち出すやら、金を借 り倒すやら大変だ。近藤さんのうちも、とうとうお払い箱さ。なんでも、近藤 さんのうちの貴金属をずいぶん持ち出して、売り飛ばしていたんだってね。あ いつのは、まるきりでたらめなんだ。後で露見しようがしまいが、そんなこと は平気なんだ。あいつは悪事をやるのまでが天才的だ、という評判だよ。…… 今だから、いってもいいが、あいつは君が近藤さんのうちを出た時に、何か君 が悪いことをやったように、僕たちの間に触れ回っていたよ。僕たちは、むろ んそれを、少しも信じなかったがね」といった。  雄吉は、それをきいていると、青木のために土足で踏みにじられたように思 った。「貴様は俺に恩を施したつもりでいるのか、貴様から受けた恩なんか、 この通り踏みにじってしまったのだ。貴様が、一身を賭して、僕のために保留 してくれた近藤家の保護を、俺はこちらから御免を蒙ったのだ」といっている ような青木の皮肉な顔を、雄吉はまざまざと想像することができた。  雄吉の心を極度にまで傷つけたことは、彼が青木のために払った犠牲のため に、今なお苦しみ続けているのにかかわらず、青木が雄吉のそうした苦痛によ ってようやく保留し得た保護を、それほど破廉恥に、それほど悪辣に、それほ ど背信的に踏みにじったことであった。それをきいてから、雄吉は、全人格を もって、青木を恨み、呪詛し、憤らずにはおられなかった。彼は青木に対する すべての好感情を失い、満身を彼に対する憎悪と侮蔑とで、埋めてしまった。 しかも、それは、彼の苦学的生活が、苦しくなれば苦しくなるにつれて、深め られていった。  青木が、大学でも不始末を演じて、除名されたという噂をきいたのは、それ から間もないことであった。が、その時には、埋もれていく青木の天分を惜し むほどの好意も、雄吉の心のうちには残っていなかった。
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