掠文庫
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が居りましたなもし」 「マドンナもその同類なんですかね」 「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をして おくれた古賀先生なもし――あの方の所へお嫁に行く約束が出来ていたのじゃ がなもし――」 「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福のある男とは思 わなかった。人は見懸けによらない者だな。ちっと気を付けよう」 「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金も あるし、銀行の株も持ってお出るし、万事都合がよかったのじゃが――それか らというものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つま り古賀さんがあまりお人が好過ぎるけれ、お欺されたんぞなもし。それや、こ れやでお輿入も延びているところへ、あの教頭さんがお出でて、是非お嫁にほ しいとお云いるのじゃがなもし」 「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃ ないと思ってた。それから?」 「人を頼んで懸合うておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、す ぐには返事は出来かねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじ ゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおし るようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付けておしまいたのじゃが なもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、 みんなが悪るく云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしとき ながら、今さら学士さんがお出たけれ、その方に替えよてて、それじゃ今日様 へ済むまいがなもし、あなた」 「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行った って済みっこありませんね」 「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田さんが教頭の所へ意見を しにお行きたら、赤シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもり はない。破約になれば貰うかも知れんが、今のところは遠山家とただ交際をし ているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もなかろ うとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻りたそうな。赤シャツさんと 堀田さんは、それ以来折合がわるいという評判ぞなもし」 「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳しい事が分るんです か。感心しちまった」 「狭いけれ何でも分りますぞなもし」  分り過ぎて困るくらいだ。この容子じゃおれの天麩羅や団子の事も知ってる かも知れない。厄介な所だ。しかしお蔭様でマドンナの意味もわかるし、山嵐 と赤シャツの関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのはどっちが悪る 者だか判然しない。おれのような単純なものには白とか黒とか片づけてもらわ ないと、どっちへ味方をしていいか分らない。 「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」 「山嵐て何ぞなもし」 「山嵐というのは堀田の事ですよ」 「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学 士さんじゃけれ、働きはある方ぞな、もし。それから優しい事も赤シャツさん の方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がええというぞなもし」 「つまりどっちがいいんですかね」 「つまり月給の多い方が豪いのじゃろうがなもし」  これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校 から帰るとお婆さんがにこにこして、へえお待遠さま。やっと参りました。と 一本の手紙を持って来てゆっくりご覧と云って出て行った。取り上げてみると 清からの便りだ。符箋が二三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、い か銀の方へ廻して、いか銀から、荻野へ廻って来たのである。その上山城屋で は一週間ばかり逗留している。宿屋だけに手紙まで泊るつもりなんだろう。開 いてみると、非常に長いもんだ。坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事を かこうと思ったが、あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、 つい遅くなって済まない。その上今時のお嬢さんのように読み書きが達者でな いものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥に代筆 を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃん に済まないと思って、わざわざ下たがきを一返して、それから清書をした。清 書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かかった。読みにくい
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