掠文庫
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 あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披いてみると、正誤どころか取り消 しも見えない。学校へ行って狸に催促すると、あしたぐらい出すでしょうと云 う。明日になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無 論しておらない。また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだ と云う答だ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが存 外無勢力なものだ。虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つ詫まらせる事が出来ない。 あんまり腹が立ったから、それじゃ私が一人で行って主筆に談判すると云った ら、それはいかん、君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ。つまり新聞 屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないも のだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。新 聞がそんな者なら、一日も早く打っ潰してしまった方が、われわれの利益だろ う。新聞にかかれるのと、泥鼈に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日 ただ今狸の説明によって始めて承知仕った。  それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、いよい よ時機が来た、おれは例の計画を断行するつもりだと云うから、そうかそれじ ゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟した。ところが山嵐が、君はよす方 がよかろうと首を傾けた。なぜと聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云わ れたかと尋ねるから、いや云われない。君は? と聴き返すと、今日校長室で、 まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決してくれと云われたとの 事だ。 「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位置が顛倒したんだ。 君とおれは、いっしょに、祝勝会へ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踴りを 見てさ、いっしょに喧嘩をとめにはいったんじゃないか。辞表を出せというな ら公平に両方へ出せと云うがいい。なんで田舎の学校はそう理窟が分らないん だろう。焦慮いな」 「それが赤シャツの指金だよ。おれと赤シャツとは今までの行懸り上到底両立 しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ」 「おれだって赤シャツと両立するものか。害にならないと思うなんて生意気だ」 「君はあまり単純過ぎるから、置いたって、どうでも胡魔化されると考えてる のさ」 「なお悪いや。誰が両立してやるものか」 「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着しないだろ う。その上に君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に明きが出来て、授業 にさし支えるからな」 「それじゃおれを間のくさびに一席伺わせる気なんだな。こん畜生、だれがそ の手に乗るものか」  翌日おれは学校へ出て校長室へ入って談判を始めた。 「何で私に辞表を出せと云わないんですか」 「へえ?」と狸はあっけに取られている。 「堀田には出せ、私には出さないで好いと云う法がありますか」 「それは学校の方の都合で……」 「その都合が間違ってまさあ。私が出さなくって済むなら堀田だって、出す必 要はないでしょう」 「その辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、 あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから」  なるほど狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払ってる。お れは仕様がないから 「それじゃ私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私が安閑として、 留まっていられると思っていらっしゃるかも知れないが、私にはそんな不人情 な事は出来ません」 「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるで出来 なくなってしまうから……」 「出来なくなっても私の知った事じゃありません」 「君そう我儘を云うものじゃない、少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ 困る。それに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来 の履歴に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう」 「履歴なんか構うもんですか、履歴より義理が大切です」 「そりゃごもっとも――君の云うところは一々ごもっともだが、わたしの云う 方も少しは察して下さい。君が是非辞職すると云うなら辞職されてもいいから、
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