掠文庫
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■玩具                                 太宰治  どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって暮 しているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなってしま う場合がある。そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧のようにふ わふわ生家へ吹きもどされる。普段着のまま帽子もかぶらず東京から二百里は なれた生家の玄関へ懐手して静かにはいるのである。両親の居間の襖をするす るあけて、敷居のうえに佇立すると、虫眼鏡で新聞の政治面を低く音読してい る父も、そのかたわらで裁縫をしている母も、顔つきを変えて立ちあがる。と きに依っては、母はひいという絹布を引き裂くような叫びをあげる。しばらく 私のすがたを見つめているうちに、私には面皰もあり、足もあり、幽霊でない ということが判って、父は憤怒の鬼と化し、母は泣き伏す。もとより私は、東 京を離れた瞬間から、死んだふりをしているのである。どのような悪罵を父か ら受けても、どのような哀訴を母から受けても、私はただ不可解な微笑でもっ て応ずるだけなのである。針の筵に坐った思いとよく人は言うけれども、私は 雲霧の筵に坐った思いで、ただぼんやりしているのである。  ことしの夏も、同じことであった。私には三百円、かけねなしには二百七十 五円、それだけが必要であったのである。私は貧乏が嫌いなのである。生きて いる限りは、ひとに御馳走をし、伊達な着物を着ていたいのである。生家には 五十円と現金がない。それも知っている。けれども私は生家の土蔵の奥隅にな お二三十個のたからもののあることをも知っている。私はそれを盗むのである。 私は既に三度、盗みを繰り返し、ことしの夏で四度目である。  ここまでの文章には私はゆるがぬ自負を持つ。困ったのは、ここからの私の 姿勢である。  私はこの玩具という題目の小説に於いて、姿勢の完璧を示そうか、情念の模 範を示そうか。けれども私は抽象的なものの言いかたを能う限り、ぎりぎりに つつしまなければいけない。なんとも、果しがつかないからである。一こと理 窟を言いだしたら最後、あとからあとから、まだまだと前言を追いかけていっ て、とうとう千万言の註釈。そうして跡にのこるものは、頭痛と発熱と、ああ 莫迦なことを言ったという自責。つづいて糞甕に落ちて溺死したいという発作。  私を信じなさい。  私はいまこんな小説を書こうと思っているのである。私というひとりの男が いて、それが或るなんでもない方法によって、おのれの三歳二歳一歳のときの 記憶を蘇らす。私はその男の三歳二歳一歳の思い出を叙述するのであるが、こ れは必ずしも怪奇小説でない。赤児の難解に多少の興を覚え、こいつをひとつ と思って原稿用紙をひろげただけのことである。それゆえこの小説の臓腑とい えば、あるひとりの男の三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書 かずともよい。思い出せば私が三つのとき、というような書きだしから、だら だらと思い出話を書き綴っていって、二歳一歳、しまいにはおのれの誕生のと きの思い出を叙述し、それからおもむろに筆を擱いたら、それでよいのである。 けれどもここに、姿勢の完璧を示そうか、情念の模範を示そうか、という問題 がすでに起っている。姿勢の完璧というのは、手管のことである。相手をすか したり、なだめたり、もちろんちょいちょい威したりしながら話をすすめ、あ あよい頃おいだなと見てとったなら、何かしら意味ふかげな一言とともにふっ とおのが姿を掻き消す。いや、全く掻き消してしまうわけではない。素早く障 子のかげに身をひそめてみるだけなのである。やがて障子のかげから無邪気な 笑顔を現わしたときには、相手のからだは意のままになる状態に在るであろう。 手管というのは、たとえばこんな工合いの術のことであって、ひとりの作家の 真摯な精進の対象である。私もまた、そのような手管はいやでなく、この赤児 の思い出話にひとつ巧みな手管を用いようと企てたのである。  ここらで私は、私の態度をはっきりきめてしまう必要がある。私の嘘がそろ そろ崩れかけて来たのを感じるからである。私は姿勢の完璧からだんだん離れ ていっているように見せつけながら、いつまたそれに返っていっても怪我のな
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