掠文庫
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[13]
らこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな
青じろい三角標と地図とを見較べて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒で
たまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いき
れでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあ
わててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの
鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもや
ってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川
の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気が
して、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほし
いものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、
どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ま
せんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足を
ふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっ
ちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あ
の鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕はどうしても少しあの
人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョ
バンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今ま
で云ったこともないと思いました。
「何だか苹果の匂がする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネ
ルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」ジョバンニもそこら
を見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だ
から野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄かにそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が赤いジ
ャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえて
はだしで立っていました。隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が
一ぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかり
ひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十
二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が黒い外套を着て青年の腕にすがっ
て不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、
ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あ
のしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくし
たちは神さまに召されているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてそ
の女の子に云いました。けれどもなぜかまた額に深く皺を刻んで、それに大へ
んつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座ら
せました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の
子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛けたばかりの男の子は顔を
変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何と
も云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。
女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどもも
うすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待
っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっ
ているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶを
まわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっし
ゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこ
はあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむと
き、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれ
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