掠文庫
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しも落着かない。先に僕に厭味を云われたから仕方なしにくるかとも思われた が、それは間違っていた。僕等二人の精神状態は二三日と云われぬほど著しき 変化を遂げている。僕の変化は最も甚しい。三日前には、お母さんが叱れば私 が科を背負うから遊びにきてとまで無茶を云うた僕が、今日はとてもそんな訣 のものでない。民子が少し長居をすると、もう気が咎めて心配でならなくなっ た。 「民さん、またお出よ、余り長く居ると人がつまらぬことを云うから」  民子も心持は同じだけれど、僕にもう行けと云われると妙にすねだす。 「あレあなたは先日何と云いました。人が何と云ったッてよいから遊びに来い と云いはしませんか。私はもう人に笑われてもかまいませんの」  困った事になった。二人の関係が密接するほど、人目を恐れてくる。人目を 恐れる様になっては、もはや罪悪を犯しつつあるかの如く、心もおどおどする のであった。母は口でこそ、男も女も十五六になれば児供ではないと云っても、 それは理窟の上のことで、心持ではまだまだ二人をまるで児供の様に思ってい るから、その後民子が僕の室へきて本を見たり話をしたりしているのを、直ぐ 前を通りながら一向気に留める様子もない。この間の小言も実は嫂が言うから 出たまでで、ほんとうに腹から出た小言ではない。母の方はそうであったけれ ど、兄や嫂やお増などは、盛に蔭言をいうて笑っていたらしく、村中の評判に は、二つも年の多いのを嫁にする気かしらんなどと専いうているとの話。それ やこれやのことが薄々二人に知れたので、僕から言いだして当分二人は遠ざか る相談をした。  人間の心持というものは不思議なもの。二人が少しも隔意なき得心上の相談 であったのだけれど、僕の方から言い出したばかりに、民子は妙に鬱ぎ込んで、 まるで元気がなくなり、悄然としているのである。それを見ると僕もまたたま らなく気の毒になる。感情の一進一退はこんな風にもつれつつ危くなるのであ る。とにかく二人は表面だけは立派に遠ざかって四五日を経過した。  陰暦の九月十三日、今夜が豆の月だという日の朝、露霜が降りたと思うほど つめたい。その代り天気はきらきらしている。十五日がこの村の祭で明日は宵 祭という訣故、野の仕事も今日一渡り極りをつけねばならぬ所から、家中手分 けをして野へ出ることになった。それで甘露的恩命が僕等両人に下ったのであ る。兄夫婦とお増と外に男一人とは中稲の刈残りを是非刈って終わねばならぬ。 民子は僕を手伝いとして山畑の棉を採ってくることになった。これはもとより 母の指図で誰にも異議は云えない。 「マアあの二人を山の畑へ遣るッて、親というものよッぽどお目出たいものだ」  奥底のないお増と意地曲りの嫂とは口を揃えてそう云ったに違いない。僕等 二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、この場合二人で山畑へゆ くとなっては、人に顔を見られる様な気がして大いに極りが悪い。義理にも進 んで行きたがる様な素振りは出来ない。僕は朝飯前は書室を出ない。民子も何 か愚図愚図して支度もせぬ様子。もう嬉しがってと云われるのが口惜しいので ある。母は起きてきて、 「政夫も支度しろ。民やもさっさと支度して早く行け。二人でゆけば一日には 楽な仕事だけれど、道が遠いのだから、早く行かないと帰りが夜になる。なる たけ日の暮れない内に帰ってくる様によ。お増は二人の弁当を拵えてやってく れ。お菜はこれこれの物で……」  まことに親のこころだ。民子に弁当を拵えさせては、自分のであるから、お 菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、ちゃんとお増に命じて拵え させたのである。僕はズボン下に足袋裸足麦藁帽という出で立ち、民子は手指 を佩いて股引も佩いてゆけと母が云うと、手指ばかり佩いて股引佩くのにぐず ぐずしている。民子は僕のところへきて、股引佩かないでもよい様にお母さん にそう云ってくれと云う。僕は民さんがそう云いなさいと云う。押問答をして いる内に、母はききつけて笑いながら、 「民やは町場者だから、股引佩くのは極りが悪いかい。私はまたお前が柔かい 手足へ、茨や薄で傷をつけるが可哀相だから、そう云ったんだが、いやだと云 うならお前のすきにするがよいさ」
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