掠文庫
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 それで民子は、例の襷に前掛姿で麻裏草履という支度。二人が一斗笊一個宛 を持ち、僕が別に番ニョ片籠と天秤とを肩にして出掛ける。民子が跡から菅笠 を被って出ると、母が笑声で呼びかける。 「民や、お前が菅笠を被って歩くと、ちょうど木の子が歩くようで見っともな い。編笠がよかろう。新らしいのが一つあった筈だ」  稲刈連は出てしまって別に笑うものもなかったけれど、民子はあわてて菅笠 を脱いで、顔を赤くしたらしかった。今度は編笠を被らずに手に持って、それ じゃお母さんいってまいりますと挨拶して走って出た。  村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、 急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれ の坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろす と少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打伏した 光景は、気のせいか殊に清々しく、胸のすくような眺めである。民子はいつの 間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ち るのを拾っている。 「民さん、もうきたかい。この天気のよいことどうです。ほんとに心持のよい 朝だねイ」 「ほんとに天気がよくて嬉しいわ。このまア銀杏の葉の綺麗なこと。さア出掛 けましょう」  民子の美しい手で持ってると銀杏の葉も殊に綺麗に見える。二人は坂を降り てようやく窮屈な場所から広場へ出た気になった。今日は大いそぎで棉を採り 片付け、さんざん面白いことをして遊ぼうなどと相談しながら歩く。道の真中 は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに濡れて、いろい ろの草が花を開いてる。タウコギは末枯れて、水蕎麦蓼など一番多く繁ってい る。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊 がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。 僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。  民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫ん で駆け戻ってきた。 「民さんはそんなに戻ってきないッたって僕が行くものを……」 「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫 さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」 「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」 「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしい の。どうしてこんなかと、自分でも思う位」 「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」  民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだ す。 「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」 「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だから さ」 「それで政夫さんは野菊が好きだって……」 「僕大好きさ」  民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今 の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思 った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すこと は出来ない。話は一寸途切れてしまった。  何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊 の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだい好きだと云った時すら、 僕は既に胸に動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだ ずうずうしくはなっていない。民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で 強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。二人はしばらく無言で歩く。
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