掠文庫
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 真に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決し て粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気と かいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。  しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるはなおおかしい様 に思って、無理と話を考え出す。 「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」 「わたし何も考えていやしません」 「民さんはそりゃ嘘だよ。何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣はない さ。どんなことを考えていたのか知らないけれど、隠さないだってよいじゃな いか」 「政夫さん、済まない。私さっきほんとに考事していました。私つくづく考え て情なくなったの。わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。私は 十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」 「民さんは何のこと言うんだろう。先に生れたから年が多い、十七年育ったか ら十七になったのじゃないか。十七だから何で情ないのですか。僕だって、さ 来年になれば十七歳さ。民さんはほんとに妙なことを云う人だ」  僕も今民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。解ってはいるけど、 わざと戯れの様に聞きなして、振りかえって見ると、民子は真に考え込んでい る様であったが、僕と顔合せて極りわるげににわかに側を向いた。  こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまっ てしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうしほんの僅かにでも押が強けれ ば、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているの だから、吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互 に明放してしまうことが出来るのである。しかしながら真底からおぼこな二人 は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってし まわねばならぬと云う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば未だ取 止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつ まってしまうのである。  お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町 かの道を歩いた。詞数こそ少なけれ、その詞の奥には二人共に無量の思いを包 んで、極りがわるい感情の中には何とも云えない深き愉快を湛えて居る。それ でいわゆる足も空に、いつしか田圃も通りこし、山路へ這入った。今度は民子 が心を取り直したらしく鮮かな声で、 「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵へは一里に遠いッて云いま したねイ」 「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休 みましょうか」 「わたし休まなくとも、ようございますが、早速お母さんの罰があたって、薄 の葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」  親指の中ほどで疵は少しだが、血が意外に出た。僕は早速紙を裂いて結わえ てやる。民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こ んな山の中で休むより、畑へ往ってから休もうというので、今度は民子を先に 僕が後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。  十年許り前に親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買っ たのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に 高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石を持っていると云えば、世 間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。  三方林で囲まれ、南が開いて余所の畑とつづいている。北が高く南が低い傾 斜になっている。母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れ るかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日 がさしていると目ぶしい様に綺麗だ。 「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」
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