掠文庫
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に採って、急に話を転じた。 「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花です ね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんど うが好きになった。おオえエ花……」  花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何 を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。 「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」 「政夫さんはりんどうの様な人だ」 「どうして」 「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だか らさ」  民子は言い終って顔をかくして笑った。 「民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討という訣ですか。口 真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。 僕は悦んでりんどうになります。それで民さんがりんどうを好きになってくれ ればなお嬉しい」  二人はこんならちもなき事いうて悦んでいた。秋の日足の短さ、日はようや く傾きそめる。さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一 時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で 差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早 く松の梢をかぎりかけた。  半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木の間から影をさして尾花にゆらぐ 風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、 道の西手に一段低い畑には、蕎麦の花が薄絹を曳き渡したように白く見える。 こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。 「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色の よい所で少し休んで行きましょう」 「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何と か言われる。政夫さん、私はそれが心配になるわ」 「今更心配しても追つかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよ いことは滅多にありません。そんなに人に申訣のない様な悪いことはしないも の、民さん、心配することはないよ」  月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先 七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の 花が際立って白い。 「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、 こんなときに面白いことが云えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には 心配も何も忘れますもの。政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」 「僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎 麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。民さん、これ から二人で歌をやりましょうか」  お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって 話は少ない。何となく覚束ない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。 民子は勿論のこと、僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと 浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらく は無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁が二人を促すかの様に空近く 鳴いて通る。  ようやく田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感 情が胸に湧いた。それは外でもない、何となく家に這入りづらいと言う心持で ある。這入りづらい訣はないと思うても、どうしても這入りづらい。躊躇する 暇もない、忽門前近く来てしまった。 「政夫さん……あなた先になって下さい。私極りわるくてしょうがないわ」 「よしとそれじゃ僕が先になろう」
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