掠文庫
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[13]
った。互に手を取って後来を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る渡場
に、泣きの涙も人目を憚り、一言の詞もかわし得ないで永久の別れをしてしま
ったのである。無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下ら
ぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょ
んぼりと悄れていた不憫な民さんの俤、どうして忘れることが出来よう。民さ
んを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕に
は民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもし
たらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志の思慮には
何らの工夫も無かったのである。八百屋お七は家を焼いたらば、再度思う人に
逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほ
どの智慧も出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に
怖じ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志で
あったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学
校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励ま
して見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。
多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に
心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居
て疲れて寝る工夫をして居た。そういう始末でようやく年もくれ冬期休業にな
った。
僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に籾を干してあって、母
は前の縁側に蒲団を敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよ
い。今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉をはきに行ったとの話である。僕は
民さんはと口の先まで出たけれど遂に言い切らなかった。母も意地悪く何とも
言わない。僕は帰り早々民子のことを問うのが如何にも極り悪く、そのまま例
の書室を片づけてここに落着いた。しかし日暮までには民子も帰ってくること
と思いながら、おろおろして待って居る。皆が帰っていよいよ夕飯ということ
になっても民子の姿は見えない、誰もまた民子のことを一言も言うものもない。
僕はもう民子は市川へ帰ったものと察して、人に問うのもいまいましいから、
外の話もせず、飯がすむとそれなり書室へ這入ってしまった。
今日は必ず民子に逢われることと一方ならず楽しみにして帰って来たのに、
この始末で何とも言えず力が落ちて淋しかった。さりとて誰にこの苦悶を話し
ようもなく、民子の写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れ
ない。またあの奴民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも口惜しく、
ようやく心を取直し、母の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。
翌くる日は九時頃にようやく起きた。母は未だ寝ている。台所へ出て見ると
外の者は皆また山へ往ったとかで、お増が一人台所片づけに残っている。僕は
顔を洗ったなり飯も食わずに、背戸の畑へ出てしまった。この秋、民子と二人
で茄子をとった畑が今は青々と菜がほきている。僕はしばらく立って何所を眺
めるともなく、民子の俤を脳中にえがきつつ思いに沈んでいる。
「政夫さん、何をそんなに考えているの」
お増が出し抜けに後からそいって、近くへ寄ってきた。僕がよい加滅なこと
を一言二言いうと、お増はいきなり僕の手をとって、も少しこっちへきてここ
へ腰を掛けなさいまアと言いつつ、藁を積んである所へ自分も腰をかけて僕に
も掛けさせた。
「政夫さん……お民さんはほんとに可哀相でしたよ。うちの姉さんたらほんと
に意地曲りですからネ。何という根性の悪い人だか、私もはアここのうちに居
るのは厭になってしまった。昨日政夫さんが来るのは解りきって居るのに、姉
さんがいろんなことを云って、一昨日お民さんを市川へ帰したんですよ。待つ
人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、当こすりを云ってお民
さんを泣かせたりしてネ、お母さんにも何でもいろいろなこと言ったらしい、
とうとう一昨日お昼前に帰してしまったのでさ。政夫さんが一昨日きたら逢わ
れたんですよ。政夫さん、私はお民さんが可哀相で可哀相でならないだよ。何
だってあなたが居なくなってからはまるで泣きの涙で日を暮らして居るんだも
の、政夫さんに手紙をやりたいけれど、それがよく自分には出来ないから口惜
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