掠文庫
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しいと云ってネ。私の部屋へ三晩も硯と紙を持ってきては泣いて居ました。お 民さんも始まりは私にも隠していたけれど、後には隠して居られなくなったの さ。私もお民さんのためにいくら泣いたか知れない……」  見ればお増はもうぽろぽろ涙をこぼしている。一体お増はごく人のよい親切 な女で、僕と民子が目の前で仲好い風をすると、嫉妬心を起すけれど、もとよ り執念深い性でないから、民子が一人になれば民子と仲が好く、僕が一人にな れば僕を大騒ぎするのである。  それからなおお増は、僕が居ない跡で民子が非常に母に叱られたことなどを 話した。それは概略こうである。意地悪の嫂が何を言うても、母が民子を愛す ることは少しも変らないけれど、二つも年の多い民子を僕の嫁にすることはど うしてもいけぬと云うことになったらしく、それには嫂もいろいろ言うて、嫁 にしないとすれば、二人の仲はなるたけ裂く様な工夫をせねばならぬ。母も嫂 もそういう心持になって居るから、民子に対する仕向けは、政夫のことを思う て居ても到底駄目であると遠廻しに諷示して居た。そこへきて民子が明けても くれてもくよくよして、人の眼にもとまるほどであるから、時々は物忘れをし たり、呼んでも返辞が遅かったりして、母の疳癪にさわったことも度々あった。 僕が居なくなってから二十日許り経って十一月の月初めの頃、民子も外の者と 野へ出ることとなって、母が民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを雑 巾掛してそれから庭に広げてある蓆を倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。 民子は雑巾がけをしてからうっかり忘れてしまって、蓆を入れずに野へ出た処、 間がわるくその日雨が降ったから、その蓆十枚ばかりを濡らしてしまった。民 子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速 母に詫びたけれど母は平日の事が胸にあるから、 「何も十枚ばかりの蓆が惜しいではないけれど、一体私の言いつけを疎かに聞 いているから起ったことだ。もとの民子はそうでなかった。得手勝手な考えご となどしているから、人の言うことも耳へ這入らないのだ……」  という様な随分痛い小言を云った。民子は母の枕元近くへいって、どうか私 が悪かったのですから堪忍して……と両手をついてあやまった。そうすると母 はまたそう何も他人らしく改まってあやまらなくともだと叱ったそうで、民子 はたまらなくなってワッと泣き伏した。そのまま民子が泣きやんでしまえば何 のこともなく済んだであろうが、民子はとうとう一晩中泣きとおしたので翌朝 は眼を赤くして居た。母も夜時々眼をさましてみると、民子はいつでも、すく すく泣いている声がしていたというので、今度は母が非常に立腹して、お増と 民子と二人呼んで母が顫声になって云うには、 「相対では私がどんな我儘なことを云うかも知れないからお増は聞人になって くれ。民子はゆうべ一晩中泣きとおした。定めし私に云われたことが無念でた まらなかったからでしょう」  民子はここで私はそうでありませんと泣声でいうたけれど、母は耳にもかけ ずに、 「なるほど私の小言も少し云い過ぎかも知れないが、民子だって何もそれほど 口惜しがってくれなくてもよさそうなものじゃないか。私はほんとに考えると 情なくなってしまった。かわいがったのを恩に着せるではないが、もとを云え ば他人だけれど、乳呑児の時から、民子はしょっちゅう家へきて居て今の政夫 と二つの乳房を一つ宛含ませて居た位、お増がきてからもあの通りで、二つの ものは一つ宛四つのものは二つ宛、着物を拵えてもあれに一枚これに一枚と少 しも分け隔てをせないできた。民子も真の親の様に思ってくれ私も吾子と思っ て余所の人は誰だって二人を兄弟と思わないものはなかったほどであるのに、 あとにも先にも一度の小言をあんなに悔しがって夜中泣いて呉れなくともよさ そうなもの。市川の人達に聞かれたらば、斎藤の婆がどんな非度いことを云っ たかと思うだろう。十何年という間我子の様に思ってきたこともただ一度の小 言で忘れられてしまったかと思うと私は口惜しい。人間というものはそうした ものかしら。お増、よく聞いてくれ、私が無理か民子が無理か。なアお増」  母は眼に涙を一ぱいに溜めてそういった。民子は身も世もあらぬさまでいき なりにお増の膝へすがりついて泣き泣き、 「お増や、お母さんに申訣をしておくれ。私はそんなだいそれた了簡ではない。
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