掠文庫
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ゆんべあんなに泣いたは全く私が悪かったから、全く私がとどかなかったのだ から、お増や、お前がよく申訣をそういっておくれ……」  それからお増が、 「お母さんの御立腹も御尤もですけれど、私が思うにャお母さんも少し勘違い をして御いでなさいます。お母さんは永年お民さんをかわいがって御いでです から、お民さんの気質は解って居りましょう。私もこうして一年御厄介になっ て居てみれば、お民さんはほんと優しい温和しい人です。お母さんに少し許り 叱られたって、それを悔しがって泣いたりなんぞする様な人ではありますまい。 私がこんなことを申してはおかしいですが、政夫さんとお民さんとは、あアし て仲好くして居たのを、何かの御都合で急にお別れなさったもんですから、そ れからというもの、お民さんは可哀相なほど元気がないのです。木の葉のそよ ぐにも溜息をつき烏の鳴くにも涙ぐんで、さわれば泣きそうな風でいたところ へ、お母さんから少しきつく叱られたから留度なく泣いたのでしょう。お母さ ん、私は全くそう思いますわ。お民さんは決してあなたに叱られたとて悔しが るような人ではありません。お民さんの様な温和しい人を、お母さんの様にあ アいって叱っては、あんまり可哀相ですわ」  お増が共泣きをして言訣をいうたので、もとより民子は憎くない母だから、 俄に顔色を直して、 「なるほどお増がそういえば、私も少し勘違いをしていました。よくお増そう いうてくれた。私はもうすっかり心持がなおった。民や、だまっておくれ、も う泣いてくれるな。民やも可哀相であった。なに政夫は学校へ行ったんじゃな いか、暮には帰ってくるよ。なアお増、お前は今日は仕事を休んで、うまい物 でも拵えてくれ」  その日は三人がいく度もよりあって、いろいろな物を拵えては茶ごとをやり、 一日面白く話をした。民子はこの日はいつになく高笑いをし元気よく遊んだ。 何と云っても母の方は直ぐ話が解るけれど、嫂が間がな隙がな種々なことを言 うので、とうとう僕の帰らない内に民子を市川へ帰したとの話であった。お増 は長い話を終るや否やすぐ家へ帰った。  なるほどそうであったか、姉は勿論母までがそういう心になったでは、か弱 い望も絶えたも同様。心細さの遣瀬がなく、泣くより外に詮がなかったのだろ う。そんなに母に叱られたか……一晩中泣きとおした……なるほどなどと思う と、再び熱い涙が漲り出してとめどがない。僕はしばらくの間、涙の出るがま まにそこにぼんやりして居った。その日はとうとう朝飯もたべず、昼過ぎまで 畑のあたりをうろついてしまった。  そうなると俄に家に居るのが厭でたまらない。出来るならば暮の内に学校へ 帰ってしまいたかったけれど、そうもならないでようやくこらえて、年を越し 元日一日置いて二日の日には朝早く学校へ立ってしまった。  今度は陸路市川へ出て、市川から汽車に乗ったから、民子の近所を通ったの であれど、僕は極りが悪くてどうしても民子の家へ寄れなかった。また僕に寄 られたらば、民子が困るだろうとも思って、いくたび寄ろうと思ったけれどつ いに寄らなかった。  思えば実に人の境遇は変化するものである。その一年前までは、民子が僕の 所へ来て居なければ、僕は日曜のたびに民子の家へ行ったのである。僕は民子 の家へ行っても外の人には用はない。いつでも、 「お祖母さん、民さんは」  そら「民さんは」が来たといわれる位で、或る時などは僕がゆくと、民子は 庭に菊の花を摘んで居た。僕は民さん一寸御出でと無理に背戸へ引張って行っ て、二間梯子を二人で荷い出し、柿の木へ掛けたのを民子に抑えさせ、僕が登 って柿を六個許りとる。民子に半分やれば民子は一つで沢山というから、僕は その五つを持ってそのまま裏から抜けて帰ってしまった。さすがにこの時は戸 村の家でも家中で僕を悪く言ったそうだけれど、民子一人はただにこにこ笑っ て居て、決して政夫さん悪いとは言わなかったそうだ。これ位隔てなくした間
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