掠文庫
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[19]
さんに逢いたかったもの、民さんだって僕に逢いたかったに違いない。無理無 理に強いられたとは云え、嫁に往っては僕に合わせる顔がないと思ったに違い ない。思えばそれが愍然でならない。あんな温和しい民さんだもの、両親から 親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。民さんが気の強い人な らきっと自殺をしたのだけれど、温和しい人だけにそれも出来なかったのだ。 民さんは嫁に往っても僕の心に変りはないと、せめて僕の口から一言いって死 なせたかった。世の中に情ないといってこういう情ないことがあろうか。もう 私も生きて居たくない……吾知らず声を出して僕は両膝と両手を地べたへ突い てしまった。  僕の様子を見て、後に居た人がどんなに泣いたか。僕も吾一人でないに気が ついてようやく立ちあがった。三人の中の誰がいうのか、 「なんだって民子は、政夫さんということをば一言も言わなかったのだろう……」 「それほどに思い合ってる仲と知ったらあんなに勧めはせぬものを」 「うすうすは知れて居たのだに、この人の胸も聞いて見ず、民子もあれほどい やがったものを……いくら若いからとてあんまりであった……可哀相に……」  三人も香花を手向け水を注いだ。お祖母さんがまた、 「政夫さん、あなた力紙を結んで下さい。沢山結んで下さい。民子はあなたが 情の力を便りにあの世へゆきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」  僕は懐にあった紙の有りたけを力杖に結ぶ。この時ふっと気がついた。民さ んは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ 掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。 弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。民さんは野菊の中 へ葬られたのだ。僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。  僕は何にもほしくありません。御飯は勿論茶もほしくないです、このままお 暇願います、明日はまた早く上りますからといって帰ろうとすると、家中で引 留める。民子のお母さんはもうたまらなそうな風で、 「政夫さん、あなたにそうして帰られては私等は居ても起ってもいられません。 あなたが面白くないお心持は重々察しています。考えてみれば私どもの届かな かったために、民子にも不憫な死にようをさせ、政夫さんにも申訣のないこと をしたのです。私共は如何様にもあなたにお詫びを致します。民子可哀相と思 召したら、どうぞ民子が今はの話も聞いて行って下さいな。あなたがお出でに なったら、お話し申すつもりで、今日はお出でか明日はお出でかと、実は家中 がお待ち申したのですからどうぞ……」  そう言われては僕も帰る訣にゆかず、母もそう言ったのに気がついて座敷へ 上った。茶や御飯やと出されたけれども真似ばかりで済ます。その内に人々皆 奥へ集りお祖母さんが話し出した。 「政夫さん、民子の事については、私共一同誠に申訣がなく、あなたに合せる 顔はないのです。あなたに色々御無念な処もありましょうけれど、どうぞ政夫 さん、過ぎ去った事と諦めて、御勘弁を願います。あなたにお詫びをするのが 何より民子の供養になるのです」  僕はただもう胸一ぱいで何も言うことが出来ない。お祖母さんは話を続ける。 「実はと申すと、あなたのお母さん始め、私また民子の両親とも、あなたと民 子がそれほど深い間であったとは知らなかったもんですから」 僕はここで一言いいだす。 「民さんと私と深い間とおっしゃっても、民さんと私とはどうもしやしません」 「いイえ、あなたと民子がどうしたと申すではないのです。もとからあなたと 民子は非常な仲好しでしたから、それが判らなかったんです。それに民子はあ の通りの内気な児でしたから、あなたの事は一言も口に出さない。それはまる きり知らなかったとは申されません。それですからお詫びを申す様な訣……」  僕は皆さんにそんなにお詫びを云われる訣はないという。民子のお父さんは
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