掠文庫
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お詫びを言わしてくれという。 「そりゃ政夫さんのいうのは御もっともです、私共が勝手なことをして、勝手 なことをお前さんに言うというものですが、政夫さん聞いて下さい、理窟の上 のことではないです。男親の口からこんなことをいうも如何ですが、民子は命 に替えられない思いを捨てて両親の希望に従ったのです。親のいいつけで背か れないと思うても、道理で感情を抑えるは無理な処もありましょう。民子の死 は全くそれ故ですから、親の身になって見ると、どうも残念でありまして、ど うもしやしませんと政夫さんが言う通り、お前さん等二人に何の罪もないだけ、 親の目からは不憫が一層でな。あの通り温和しかった民子は、自分の死ぬのは 心柄とあきらめてか、ついぞ一度不足らしい風も見せなかったです。それやこ れやを思いますとな、どう考えてもちと親が無慈悲であった様で……。政夫さ ん、察して下さい。見る通り家中がもう、悲しみの闇に鎖されて居るのです。 愚かなことでしょうがこの場合お前さんに民子の話を聞いて貰うのが何よりの 慰藉に思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」  お祖母さんがまた話を続ける。結婚の話からいよいよむずかしくなったまで の話は嫂が家での話と同じで、今はという日の話はこうであった。 「六月十七日の午後に医者がきて、もう一日二日の処だから、親類などに知ら せるならば今日中にも知らせるがよいと言いますから、それではとて取敢ずあ なたのお母さんに告げると十八日の朝飛んできました。その日は民子は顔色が よく、はっきりと話も致しました。あなたのおっかさんがきまして、民や、決 して気を弱くしてはならないよ、どうしても今一度なおる気になっておくれよ、 民や……民子はにっこり笑顔さえ見せて、矢切のお母さん、いろいろ有難う御 座います。長長可愛がって頂いた御恩は死んでも忘れません。私も、もう長い ことはありますまい……。民や、そんな気の弱いことを思ってはいけない。決 してそんなことはないから、しっかりしなくてはいけないと、あなたのお母さ んが云いましたら、民子はしばらくたって、矢切のお母さん、私は死ぬが本望 であります、死ねばそれでよいのです……といいましてからなお口の内で何か 言った様で、何でも、政夫さん、あなたの事を言ったに違いないですが、よく 聞きとれませんでした。それきり口はきかないで、その夜の明方に息を引取り ました……。それから政夫さん、こういう訣です……夜が明けてから、枕を直 させます時、あれの母が見つけました、民子は左の手に紅絹の切れに包んだ小 さな物を握ってその手を胸へ乗せているのです。それで家中の人が皆集ってそ れをどうしようかと相談しましたが、可哀相なような気持もするけれど、見ず に置くのも気にかかる、とにかく開いて見るがよいと、あれの父が言い出しま して、皆の居る中であけました。それが政さん、あなたの写真とあなたのお手 紙でありまして……」  お祖母さんが、泣き出して、そこにいた人皆涙を拭いている。僕は一心に畳 を見つめていた。やがてお祖母さんがようよう話を次ぐ。 「そのお手紙をお富が読みましたから、誰も彼も一度に声を立って泣きました。 あれの父は男ながら大声して泣くのです。あなたのお母さんは、気がふれはし ないかと思うほど、口説いて泣く。お前達二人がこれほどの語らいとは知らず に、無理無体に勧めて嫁にやったは悪かった。あア悪いことをした、不憫だっ た。民や、堪忍して、私は悪かったから堪忍してくれ。俄の騒ぎですから、近 隣の人達が、どうしましたと云って尋ねにきた位でありました。それであなた のお母さんはどうしても泣き止まないです。体に障ってはと思いまして葬式が 済むと車で御送り申した次第です。身を諦めた民子の心持が、こう判って見る と、誰も彼も同じことで今更の様に無理に嫁にやった事が後悔され、たまらな いですよ。考えれば考えるほどあの児が可哀相で可哀相で居ても起っても居ら れない……せめてあなたに来て頂いて、皆が悪かったことを十分あなたにお詫 びをし、またあれの墓にも香花をあなたの手から手向けて頂いたら、少しは家 中の心持も休まるかと思いまして……今日のことをなんぼう待ちましたろ。政 夫さん、どうぞ聞き分けて下さい。ねイ民子はあなたにはそむいては居ません。 どうぞ不憫と思うてやって下さい……」  一語一句皆涙で、僕も一時泣きふしてしまった。民子は死ぬのが本望だと云 ったか、そういったか……家の母があんなに身を責めて泣かれるのも、その筈 であった。僕は、 「お祖母さん、よく判りました。私は民さんの心持はよく知っています。去年
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