掠文庫
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遠い越後の山の中から来るという、角兵衛獅子の姿も、麦の芽が一寸位になっ た頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の 胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといって も以前のように胡弓のすすりなくような声は聞えず、ぱんぱんと寒い空気の中 を村の外までひびく鼓の音も聞えなかった。これだけ世の中が開けて来たのだ と人々はいう。人間が悧口になったので、胡弓や鼓などの、間のびのした馬鹿 らしい歌には耳を藉さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が 開けるということはどういうつまらぬことだろう、と木之助は思ったのである。  木之助の家では八十八歳まで生きた木之助の父親が、冬中ねていたが、恰度 旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高い檜の梢を照し出すころ、 恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。 そのために、数十年来一度も欠かさなかった胡弓の門附けを、この正月ばかり はやめなければならなかった。その翌年は、これはまた木之助自身が感冒を患 ってうごくことが出来なかった。味噌屋の御主人が、もう俺が来るずらと思っ て待ってござるじゃろうに、と仰向に寝ている木之助は、枕元に坐って看病し ている大きい娘にそう言っては、壁にかかっている胡弓の方を見たのである。  木之助の病気は癒った。が以前のような曇りのない健康は帰って来なかった。 以前は持つことの出来た米俵がもう木之助の腕ではあがって来なかった。また 子供のときから耕していた田圃の一畝が、以前よりずっと長くなったように感 ぜられ、何度も腰をのばし、あおっている心臓のしずまるのを待たねばならな かった。冬がやって来たとき、死んだ父親を苦しめていたあの喘息が木之助に もおとずれて来た。寒い夜は遅くまで咳がとまらなかった。  しかし今年の正月にはどうあっても胡弓弾きにゆくと、一月も前から木之助 は気張っていた。味噌屋の御主人にすまんからといった。そして体の調子のよ い折を見ては、夜、妻と三番目の娘が、嫁入りの仕度に着物を縫っている傍で 胡弓を奏でた。昼間、藁部屋の陽南で猫といっしょに陽にぬくとまりながら、 鳴らしているときは、木之さんも年を喰ったと村人が見て通った。  正月の前の晩はひどい寒気だった。その日は朝から雪が降りづめで、夜にな って漸くやんだ。夜はまた木之助の咽喉がむずがゆくなり咳が出て来た。裏の 竹薮で、竹から雪がどさっどさっと落ちる音が、木之助の咳にまじった。咳の 長いつづきがやむと娘が、  「お父つあん、そんなふうで明日門附けにゆけるもんかい」といった。もう 昼間から何度も繰り返している言葉である。  「行けんじゃい!」と木之助は癇癪を起して呶鳴るようにいった。「おツタ のいう通りだ」と女房もいった。   六  「無理して行って来て、また寝こむようなことになると、僅かな銭金にゃ代 らないよ」。そして女房は、去年木之助が感冒を患ったとき、町から三度自動 車で往診に来たお医者に、鶏ならこれから卵を産もうという一番値のする牝鶏 を十羽買えるだけのお銭を払わねばならなかったことをいった。  「明日は、ええ日になるだ」。木之助はあれ以来女房や娘に苦労をかけてい るのを心の中では済まなく思って、それでも負け惜しみをいった。「雪の明け の日というものは、ぬくといええ日になるもんだよ」  「雪が解けて歩くに難儀だよ」と女房がいった。「そげに難儀して行ったと ころで、今時、胡弓など本気になって聴いてくれるものはありゃしないだよ」  木之助は、女房のいう通りだと悲しく思った。だが、味噌屋の旦那のことを 頭にうかべて、  「まだ耳のある人はあるだ。世間は広いだよ」 と答えた。娘のおツタは待針でついた指の背を口にふくみながら、勝つあんも やめた、力さんもやめたと、門附けをやめてしまった人々の名をあげてしまい に「いつまででも芸だの胡弓だのいってるのはお父つあん一人だよ。人が馬鹿 だというよ」といった。  「こけでもこけずきでもええだ。聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にある うちは、俺あ胡弓はやめられんよ」  しばらくみんな黙っていた。竹薮でどさっと雪が落ちた。
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