掠文庫
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七歳の今日、こうしてつまらぬ雑誌社の社員になって、毎日毎日通っていって、 つまらぬ雑誌の校正までして、平凡に文壇の地平線以下に沈没してしまおうと はみずからも思わなかったであろうし、人も思わなかった。けれどこうなった のには原因がある。この男は昔からそうだが、どうも若い女に憧れるという悪 い癖がある。若い美しい女を見ると、平生は割合に鋭い観察眼もすっかり権威 を失ってしまう。若い時分、盛んにいわゆる少女小説を書いて、一時はずいぶ ん青年を魅せしめたものだが、観察も思想もないあくがれ小説がそういつまで 人に飽きられずにいることができよう。ついにはこの男と少女ということが文 壇の笑い草の種となって、書く小説も文章も皆笑い声の中に没却されてしまっ た。それに、その容貌が前にも言ったとおり、このうえもなく蛮カラなので、 いよいよそれが好いコントラストをなして、あの顔で、どうしてああだろう、 打ち見たところは、いかな猛獣とでも闘うというような風采と体格とを持って いるのに……。これも造化の戯れの一つであろうという評判であった。  ある時、友人間でその噂があった時、一人は言った。  「どうも不思議だ。一種の病気かもしれんよ。先生のはただ、あくがれると いうばかりなのだからね。美しいと思う、ただそれだけなのだ。我々なら、そ ういう時には、すぐ本能の力が首を出してきて、ただ、あくがれるくらいでは どうしても満足ができんがね」  「そうとも、生理的に、どこか陥落しているんじゃないかしらん」  と言ったものがある。  「生理的と言うよりも性質じゃないかしらん」  「いや、僕はそうは思わん。先生、若い時分、あまりにほしいままなことを したんじゃないかと思うね」  「ほしいままとは?」  「言わずともわかるじゃないか……。ひとりであまり身を傷つけたのさ。そ の習慣が長く続くと、生理的に、ある方面がロストしてしまって、肉と霊とが しっくり合わんそうだ」  「ばかな……」  と笑ったものがある。  「だッて、子供ができるじゃないか」  と誰かが言った。  「それは子供はできるさ……」と前の男は受けて、「僕は医者に聞いたんだ が、その結果はいろいろあるそうだ。はげしいのは、生殖の途が絶たれてしま うそうだが、中には先生のようになるのもあるということだ。よく例があるっ て……僕にいろいろ教えてくれたよ。僕はきっとそうだと思う。僕の鑑定は誤 らんさ」  「僕は性質だと思うがね」  「いや、病気ですよ、少し海岸にでも行っていい空気でも吸って、節慾しな ければいかんと思う」  「だって、あまりおかしい、それも十八、九とか二十二、三とかなら、そう いうこともあるかもしれんが、細君があって、子供が二人まであって、そして 年は三十八にもなろうというんじゃないか。君の言うことは生理学万能で、ど うも断定すぎるよ」  「いや、それは説明ができる。十八、九でなければそういうことはあるまい と言うけれど、それはいくらもある。先生、きっと今でもやっているに相違な い。若い時、ああいうふうで、むやみに恋愛神聖論者を気どって、口ではきれ いなことを言っていても、本能が承知しないから、ついみずから傷つけて快を 取るというようなことになる。そしてそれが習慣になると、病的になって、本 能の充分の働きをすることができなくなる。先生のはきっとそれだ。つまり、 前にも言ったが、肉と霊とがしっくり調和することができんのだよ。それにし てもおもしろいじゃないか、健全をもってみずからも任じ、人も許していたも のが、今では不健全も不健全、デカダンの標本になったのは、これというのも 本能をないがしろにしたからだ。君たちは僕が本能万能説を抱いているのをい つも攻撃するけれど、実際、人間は本能がたいせつだよ。本能に従わん奴は生 存しておられんさ」と滔々として弁じた。
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