掠文庫
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がいかにも素直で、なんのわだかまりもない。母親は「臆面なしで困る」と言 うが、それが翁の気に入っている。  翁はこう思い定めたが、さてこの話を持ち込む手続きに窮した。いつも翁に 何か言われると、謹んで承るという風になっている少女らに、直接に言うこと はもちろん出来ない。外舅外姑が亡くなってからは、川添の家には卑属しかい ないから、翁がうかと言い出しては、先方で当惑するかも知れない。他人同士 では、こういう話を持ち出して、それが不調に終ったあとは、少くもしばらく の間交際がこれまで通りに行かぬことが多い。親戚間であってみれば、その辺 に一層心を用いなくてはならない。  ここに仲平の姉で、長倉のご新造と言われている人がある。翁はこれに意中 を打ち明けた。「亡くなった兄いさんのおよめになら、一も二もなく来たので ございましょうが」と言いかけて、ご新造は少しためらった。ご新造はそうい う方角からはお豊さんを見ていなかったのである。しかしお父うさまに頼まれ た上で考えてみれば、ほかに弟のよめに相応した娘も思い当らず、またお豊さ んが不承知を言うにきまっているとも思われぬので、ご新造はとうとう使者の 役目を引き受けた。  川添の家では雛祭の支度をしていた。奥の間へいろいろな書附けをした箱を 一ぱい出し散らかして、その中からお豊さんが、内裏様やら五人囃しやら、一 つびとつ取り出して、綿や吉野紙を除けて置き並べていると、妹のお佐代さん がちょいちょい手を出す。「いいからわたしに任せておおき」と、お豊さんは 妹を叱っていた。  そこの障子をあけて、長倉のご新造が顔を出した。手にはみやげに切らせて 来た緋桃の枝を持っている。「まあ、お忙しい最中でございますね」  お豊さんは尉姥の人形を出して、箒と熊手とを人形の手に挿していたが、そ の手を停めて桃の花を見た。「おうちの桃はもうそんなに咲きましたか。こち らのはまだ莟がずっと小そうございます」 「出かけに急いだもんですから、ほんの少しばかり切らせて来ました。たくさ んお活けになるなら、いくらでも取りにおよこしなさいよ」こう言ってご新造 は桃の枝をわたした。  お豊さんはそれを受け取って、妹に「ここはこのままそっくりしておくのだ よ」と言っておいて、桃の枝を持って勝手へ立った。  ご新造はあとからついて来た。  お豊さんは台所の棚から手桶をおろして、それを持ってそばの井戸端に出て、 水を一釣瓶汲み込んで、それに桃の枝を投げ入れた。すべての動作がいかにも かいがいしい。使命を含んで来たご新造は、これならば弟のよめにしても早速 役に立つだろうと思って、微笑を禁じ得なかった。下駄を脱ぎすてて台所にあ がったお豊さんは、壁に吊ってある竿の手拭いで手をふいている。そのそばへ ご新造が摩り寄った。 「安井では仲平におよめを取ることになりました」劈頭に御新造は主題を道破 した。 「まあ、どこから」 「およめさんですか」 「ええ」 「そのおよめさんは」と言いさして、じっとお豊さんの顔を見つつ、「あなた」  お豊さんは驚きあきれた顔をして黙っていたが、しばらくすると、その顔に 笑みがたたえられた。「嘘でしょう」 「本当です。わたしそのお話をしに来ました。これからお母あさまに申し上げ ようと思っています」  お豊さんは手拭いを放して、両手をだらりと垂れて、ご新造と向き合って立 った。顔からは笑みが消え失せた。「わたし仲平さんはえらい方だと思ってい
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