掠文庫
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ますが、ご亭主にするのはいやでございます」冷然として言い放った。  お豊さんの拒絶があまり簡明に発表せられたので、長倉のご新造は話のあと を継ぐ余地を見いだすことが出来なかった。しかしこれほどの用事を帯びて来 て、それを二人の娘の母親に話さずにも帰られぬと思って、直談判をして失敗 した顛末を、川添のご新造にざっと言っておいて、ギヤマンのコップに注いで 出された白酒を飲んで、暇乞いをした。  川添のご新造は仲平贔屓だったので、ひどくこの縁談の不調を惜しんで、お 豊にしっかり言って聞かせてみたいから、安井家へは当人の軽率な返事を打ち 明けずにおいてくれと頼んだ。そこでお豊さんの返事をもって復命することだ けは、一時見合わせようと、長倉のご新造が受け合ったが、どうもお豊さんが 意を翻そうとは信ぜられないので、「どうぞ無理にお勧めにならぬように」と 言い残して起って出た。  長倉のご新造が川添の門を出て、道の二三丁も来たかと思うとき、あとから 川添に使われている下男の音吉が駆けて来た。急に話したいことがあるから、 ご苦労ながら引き返してもらいたいという口上を持って来たのである。  長倉のご新造は意外の思いをした。どうもお豊さんがそう急に意を翻したと は信ぜられない。何の話であろうか。こう思いながら音吉と一しょに川添へ戻 って来た。 「お帰りがけをわざわざお呼び戻しいたして済みません。実は存じ寄らぬこと が出来まして」待ち構えていた川添のご新造が、戻って来た客の座に着かぬう ちに言った。 「はい」長倉のご新造は女主人の顔をまもっている。 「あの仲平さんのご縁談のことでございますね。わたくしは願うてもないよい 先だと存じますので、お豊を呼んで話をいたしてみましたが、やはりまいられ ぬと申します。そういたすとお佐代が姉にその話を聞きまして、わたくしのと ころへまいって、何か申しそうにいたして申さずにおりますのでございます。 なんだえと、わたくしが尋ねますと、安井さんへわたくしが参ることは出来ま すまいかと申します。およめに往くということはどういうわけのものか、ろく にわからずに申すかと存じまして、いろいろ聞いてみましたが、あちらでもろ うてさえ下さるなら自分は往きたいと、きっぱり申すのでございます。いかに も差出がましいことでございまして、あちらの思わくもいかがとは存じますが、 とにかくあなたにご相談申し上げたいと存じまして」さも言いにくそうな口吻 である。  長倉のご新造はいよいよ意外の思いをした。父はこの話をするとき、「お佐 代は若過ぎる」と言った。また「あまり別品でなあ」とも言った。しかしお佐 代さんを嫌っているのでないことは、平生からわかっている。多分父は吊合い を考えて、年がいっていて、器量の十人並みなお豊さんをと望んだのであろう。 それに若くて美しいお佐代さんが来れば、不足はあるまい。それにしても控え 目で無口なお佐代さんがよくそんなことを母親に言ったものだ。これはとにか く父にも弟にも話してみて、出来ることなら、お佐代さんの望み通りにしたい ものだと、長倉のご新造は思案してこう言った。「まあ、そうでございますか。 父はお豊さんをと申したのでございますが、わたくしがちょっと考えてみます に、お佐代さんでは悪いとは申さぬだろうと存じます。早速あちらへまいって 申してみることにいたしましょう。でもあの内気なお佐代さんが、よくあなた におっしゃったものでございますね」 「それでございます。わたくしも本当にびっくりいたしました。子供の思って いることは何から何までわかっているように存じていましても、大違いでござ います。お父うさまにお話し下さいますなら、当人を呼びまして、ここで一応 聞いてみることにいたしましょう」こう言って母親は妹娘を呼んだ。  お佐代はおそるおそる障子をあけてはいった。  母親は言った。「あの、さっきお前の言ったことだがね、仲平さんがお前の ようなものでももらって下さることになったら、お前きっと往くのだね」  お佐代さんは耳まで赤くして、「はい」と言って、下げていた頭を一層低く 下げた。
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